プロフィール

梶間マキ

1973年大阪府吹田市にて双子の片割れとして産まれる。
1800グラムと今の姿からは想像できないぐらい小さかった(笑)
2歳で高槻に移り住み、1980年高槻小学校に入学。
1986年に高槻第1中学に入学。
軟式テニス部に入り、明けても暮れてもテニステニスの日々。
1989年に今は無き島上高校に入学。
高校でも軟式テニス部に入り、青春のすべてをテニスに捧げてました。
テニスのやり過ぎで高校3年の夏に椎間板ヘルニアになり、手術をして、テニスバカが終了した。

1992年にル・トーア美容専門学校に入学。
北新地の「DOU美容室」でバイトを始める。
1993年に美容専門学校を卒業後、そのままDOU美容室に入店する。
ホステスさんやママさん相手にセットを勉強した。
毎日、極妻ばりの頭作ってましたよ!
今でもセットが1番好きですし、スッゲー可愛く、上手く出来るという自信はあります。
1995年の神戸の震災の年の春に三宮の「maisha(マイシャ)」に入社。
愛のある厳しい先輩から技術と遊びを教わる。
ここでの修行時代を経て、スタイリストとなる。
後に、尼崎の「ルノアール」に入店。
素晴らしいオーナー夫婦(今でも仲良くしていただいてますし、すごく尊敬しています)のもと、スタイリストとして成長する。
店長の役職をもらい、美容師としての飛躍と接客の楽しさを実感した。
ここで、約8年間勤務。
2006年・結婚と同時に新居を購入。
愛犬3匹(Mダックス、Mブルテリア、ドーベルマン)、人間4人(夫の両親と同居)の楽しい生活が始まる。

ルノアールのオーナーさんの力添えと応援の元、2008年に自宅の1階を改装して「d-ma hair」をオープン。

楽しいオーナー生活に入りました。

座右の名は「笑う門には福来る」です。
趣味はゴルフと散歩、旅行(犬と一緒で車で行ける範囲でのところしか行かないんで すが・・・)。
「お仕事の時に心がけている事は?」
接客面では、笑顔で楽しい会話をして、お客様が元気になってくれる事、うれしかった、楽しかった、リラックスできた、ストレスが飛んで行ったなど、取りあえず、プラスのエネルギーをお客様に渡し、笑顔で帰って頂けるように接客しています。

シャンプーの時は、ゆっくりリラックスしていただける様に、会話無しで、丁寧に時間をかけてしていますし、気持ちよくなっていただきたいと心から思っています。
気持ちいいって評判ですよ!自分でいうのも変ですが(笑)
会話とのギャップが良いのかも?(^^:

技術面では、お客様が日々の生活の中で髪のスタイリングが簡単でカッコよく、可愛くなり、気分がいい毎日を過ごせるように心がけています。
この為に、カウンセリングで「スタイリングにかける時間」や、「巻く」のか、「何もしたくない」「ブローをする」「好きな色味」「パーマの形状」等色々とお聞きします。

カウンセリングで、お客様の好きなテイストをつかむ事が大切だと思っています。
それが全ての施術に関わってきちゃいますから。
だから、カウンセリングをしっかりとさせていただいて、ご希望に基づいてきっちりと施術をさせていただいています。

また、薬液反応させる時(パーマ、カラー等)はなるべくダメージを少なくし、「来た時よりも、しっとりしてる!」って思っていただきたいので、補助剤を惜しみなく使っています。

最後のスタイリングの時には「やっぱりうまいなぁ~!」って思っていただきたいので、お客様が自分でするスタイリングよりも派手というか、可愛くっていうか・・・凝ってやりますよ!お客様にちょっとしたサプライズ的な(^_^)

お仕事をしていて、1番嬉しかったことは?
う~ん。。。日々嬉しいことが多いので悩む・・・・
1番って言われると難しいなぁ~。

お客様から
「スタイリングがやりやすかったよ~」とか、
「みんなにほめられた!」
とか、言って貰えた時は嬉しいなぁ~。

仕上げの時のお客様の顔が笑顔でキラキラしてきた時も嬉しいし・・・。
お話がもりあがり、共感し合い、泣いたり笑ったりしてる時も幸せやし・・・。
これって、日々嬉しいと感じることやもんなぁ~。
ホンマに1番って難しいですよ(笑)

最後に、ご覧いただいている皆様へ一言!
「愛してるゼ!ベイベェ」って言うたら怒る?ちょっと本気やけど・・・(笑)

楽しい時間と幸せのエネルギー?というか、元気をもらいにきて下さい!
お待ちしていますっ!!

梶間大作

大阪は鶴橋にある東亜美容専門学校を卒業後、神戸市内のサロンで20年スタイリストとしてやってきました!。

 

僕はどちらかと言うと最初から「こんなヘアースタイルにしましょう!」といった感じのいわゆる、提案先行型の美容師ではありません。だからといって提案しない訳ではありません。ではどういう事なのか。提案させてもらうタイミングが違います。僕はこう考えます。

 

人は多かれ少なかれ、なりたいイメージ(美容室なら理想のヘアースタイル、イメージ)があると思います。だから僕はそのイメージがとても重要だと感じます。

 

コミニケーションから理想のイメージ、気分を引き出し、まず僕がそのイメージをしっかりと理解すれば『最初の絵』が出来上がります。ここで僕の経験、知識から得た裏付けのある提案をさせて頂けます。その提案を納得し受け入れてもらう事で、確かな『二次元の画』になります。ここからようやく美容師として一番楽しみな仕事『三次元の形』にする事が出来ます。

つまり、お客様の感性+作り手の感性+職人としての技術力から生まれるもの、それがお客様に心地よくフィットするヘアースタイルになってくれる。というのが僕の現時点での結論です。

1971年2月9日大阪で生まれました。記憶には無いのですが保育所で作ったもには「大ちゃんは将来パイロットになるのが夢だそうです」と書かれたものが・・・・・。そして小学3年の時に聞かれた「将来は何になりたいですか?」に「警察官」と答える、かけっこ、体育が得意な小学生でした。

中学に入学する頃には、自身の服装、髪型に興味を持ち始め、スタイリングには自信を持っていました。友達の髪のセットなどを頼まれたり、セットどうやってんのん?なんて聞かれる事もしばしば。
その頃、地域でオシャレな店構えの理容室に3週間に一度のペースで通っていました。そして中学2年の頃、担当してもらっていた理容師さんに「大ちゃんは本当にセットが上手だねっ!」などと褒められる事も数え切れず。「中学卒業したらウチにおいで!」まんざらでもない僕。

「そうやな~スーツとか、制服とか着て会社勤め。そんなんよーせんやろなぁ~。それだったら、自分の好きな服を着て、したい髪形をして働ける仕事っていいなぁ。」服屋さん!?髪の毛を切る仕事!?でも・・・・・美容師さん?、理容師さん?どっち?
「どうせ髪を切るんだったら、綺麗なお姉さんやな!」この自然(不純)!?な動機で美容師さんを志すようになりました。

「中学を卒業して美容学校に行く!」これには周囲の猛反対にあい仕方なく高校に進学、卒業。晴れて、大阪は鶴橋の東亜美容専門学校に入学、そして働くなら神戸と決めていたので、学校の求人から三宮近辺で寮のあるところをキーワードに、クラスでも1番に体験実習を済ませ、そのお店に就職を決めました。

入社式を終え1週間、プロの技を目の当たりにして「これはえらい世界に転がり込んだなぁ~。思ってたんと全然違うやん。やっていけるんか?俺?」想像をはるかに超えた世界でした。「根本的に意識を変えないとやっていかれへんな。」

 

しかし、美容学校卒業後10年で1割しか残らない、極めて離職率が高い業界。美容学校の友達、同期、先輩方、後輩達が次々と業界から去っていきます。なかには美容師の悪口を言って辞めて行く人も。そんな時、そのどの人にも同じ感情が。
「カット、パーマ、カラー、セット、シャンプーブローetc・・・・・。どんなメニューでも、お客様1人を自分の力で、どうする事も出来ないで、何が美容師なん?

 

アナタハビヨウシノナニガワカリマシタカ?

 

僕は決心しました。弱音を吐いたり、途中で投げ出す事だけは絶対にしない。「美容師の仕事を判断するんはそれからやろ!」

営業前、営業後の毎朝毎晩、定休日にもレッスン。コツコツお店の査定をクリアして2年半後にスタイリストデビュー!

カットコンテスト、音楽、バイク大好きです。今でも、バイクだけはやめられません(笑)

 

ほんの少しですが指名のお客様もちらほら。この「ほんの少し」の怖さです。お客様の絶対数が少ないという事は、予約の多い、少ないが極端になります。

 

そんなある予約が多い日の出来事です。1人目のお客様スタート。2人目、3人目と進むにつれて、今カットをしているお客様、仕上げを待っているお客様、カットを待っているお客様、セット面にズラッと並び始めます。そして飛び込みで指名のお客様。いくら急いでも、焦っても、どうしても追いつきません。

 

ついに飛び込みの指名のお客様は帰って行きました。「今日は、もうこれ以上、時間が・・・・・。」という言葉を残して・・・・・。

お待たせした何人ものお客様。(この後の予定とか台無しにしてしまったかも?)

帰ってしまったお客様。(カットした後どこかいくつもりだったのかな?それとも明日何か予定が?デートとか?)可愛くする?幸せにる?・・・・・ええカッコばっかり言って。何してんねん俺・・・・・。何にもよーせんやん。

 

カワイクシタカッタ。シアワセニナッテモライタカッタ。

 

その日の営業後、ディレクターが食事に誘ってくれました。その夜、自分の不甲斐なさに涙が頬を伝いました。「大作、今日は飲め。でもな今日の事は、絶対忘れんな。今日の事を忘れへんかったらお前は、ええ美容師になれる。」それ以降の記憶はあまりありません。あくる日の朝、二日酔いの頭で「スタイリストデビューして、なんか勘違いしてた。僕なんか、まだまだ美容師ちゃうやん。」 その後、レッスンの時間が増えたのは言うまでもありません。

10年を節目に1年間ニュージーランドを遊学。 この時コミニケーションの大切さを痛感しました。今まで僕は、お客様と本当の意味で理解しあえていたのかな?と・・・・・。

撮影もよくやってました。 自分の技術を客観的に見る事が出来て、とても勉強になります。

辛い経験、苦い経験、何度も繰り返してきました。でも、それをはるかに上回る「梶間さん可愛くなった!切ってよかった」「梶間さん、上手よね!」喜びの声、笑顔。何よりも美容師を続けてきて良かったと思える瞬間は、ここをなくしてはあり得ません。 ここがなければ美容師をやり続けるのはとても難しくなります。

美容師として20年を超えたあたりから、ようやく、技術、知識、経験のバランスが良くなってきたかな!?と思える様になりました。

 

自分一人どれだけ頑張っても、どれだけお人形さんを切ろうが、お客様と二人三脚でヘアースタイルを作り上げる、美容師としての円熟は、これに勝るものは無いと思います。この美容師としてのスキルを皆様のヘアースタイルに良い形で反映出来ればと思っています。小さな感動、小さな幸せをつなぎ合わせて気分転換ができ、前向きになれるお手伝いが出来れば、 そして長いお付き合いができればと・・・・・。

 

 

 

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